活動日誌−活動日誌
【23.08.13】やろまいかみんなの平和祭
展示を見て
<広島・長崎原爆パネル>
ビキニ環礁の島に降った死の灰で遊んだ子どもも、セミパラチンスクの実験場に残留を命じられ奇跡的に生き残った男性も放射線障害で死線をさまようことになった姿など、核兵器の非人道性を私たちに語りかけてきます。
<海軍明治航空基地のパネル写真>
明治航空隊から特攻攻撃を試みたものの、機体の不調による不時着で生還した若者が再度の出撃を命じられた時の気持ちははかり知ることもできません。
<沖縄戦の実相を伝える戦跡写真展>
沖縄の戦跡は公開されたものも多いが、観光として訪れることははばかられる当時をひっそりと伝える遺跡も数あることを秋山氏の写真は伝えていました。多数のうちの40枚程度であったが、愛知県下の戦中戦後の生活実態を活写した肉筆画は貴重なものです。
アメリカとの戦争は、「短期に戦意をくじくことができれば勝つチャンスはあるが、長期の闘いになれば勝利は難しい」とする認識が、開戦前の政府、軍部の会議で何度も繰り返されていました。
しかし、「このまま引き下がっては10万20万の英霊に相すまぬ」という特に陸軍の論理で強行されました。海軍は「アメリカには勝てぬ」とは、予算を陸軍と取り合いした手前いうことができませんでした。それによって、英霊に加えて300万の日本人が死に、アジアでは2,000万人が日本との戦闘などで亡くなったといいます。
ロシアのウクライナ侵略以降、日本も敵基地攻撃を自衛の範囲に納めてしまいました。
日本国民の大多数の本心は戦争には反対でしょう。敵基地攻撃能力を持つより生活の安定を求めているはずです。ASEANのように、ことあるごとに会議で紛争を解決する枠組みを作れたらそれに越したことはないと思っていると思います。かつての軍部のような勇ましい発言には要注意です。(昭和町 M.K)