市政の動き−議会報告
【22.11.20】被爆者行脚 3年ぶりに安城市と懇談
ずっと、被爆者であることを受け入れることができなかった
懇談では原爆孤児となった山川福美さん(77歳)が語りました。
山川さんは長崎市で生まれ、生後1か月の時に爆心地から700メートル離れた場所で被爆しました。
母親がどのように亡くなったのか、誰が助けてくれたのかはわかりません。生後4か月には孤児院にいました。
「ずっと被爆者だと言われたくなかった。原爆関係のニュースは見たくない、長崎に帰っても平和公園にも足を運ばなかった」
50歳の時にこのままではいけないとの考えに変わり、現在は自分の記憶を語る活動をしていると話しました。
戦争を知らない若い職員が当事者から直接話を聞く貴重な時間となりました。
市の回答に進展なし 今年も平和首長会議は欠席
今年、核兵器禁止条約締約国会議がオーストリアで開催されました。NATО加盟国もオブザーバーとして参加しましたが、被爆国である日本は参加しませんでした。
被爆者行脚の主な要請である「政府に核兵器禁止条約の署名批准を求める署名」への署名に対し、市は「考えはない」。「非核平和都市宣言」については、「気運の盛り上がりと市議会総意が必要」との回答でした。
安城市は平和首長会議に加盟していますが、10月に行われた会議は欠席しています。